〜ひそやかに咲く名も無き花〜

思考整理、時々ポエマー。自作です。著作権フリーではありません。

合わせる

物を自分に合わせようとするのか

自分を物に合わせようとするのか

二つのタイプがあります。これは人に対しても同じようにしてしまう感じがしますね。

私は後者かな。そこにある物でなんとかします。無理な時はありますけど、たいがい代用はできるのであって、それで問題なし。

また、無理に誰かに全てを合わせてもらおうとは思いませんし、そうされたら嫌です。よほどでない限りある程度合わせにいきます。どちらか一方が寄せるのではなく、歩み寄りが大事。それが出来なければご縁がなかったということで。

前者はとにかく物が増えますよね。同じような物を、少しの違いであーだこーだやるんだから、結果そうなります。かといって自分で作るわけでもなく、合うものをひたすら探し続ける。

それを人に対してやってしまうと、それは生きづらくないのだろうかと思うわけです。この人についていきたいと思わせる素質があるとか、相手が依存型だとか、それなら可能かもしれませんが…。そう簡単に他人が合わせてくれるわけもなく。

汎用性って必要です。誰にでもピタリ合うものというのは珍しいのだから。どのような場合でも、合わせることで上手くいくなら、そうした方が良いと考えます。

どうしても譲れない何かの場合は別ですよ。そこを譲ってしまうと、自分がなくなりますからね。芯の部分、核の部分は譲ってはいけません。

合理的というと冷たい気がするかもしれませんし、突き詰めてしまうのもどうかと思いますが、必要な時もあります。

モノに振り回されないように。モノや道具は使うものであって、使われる方にはなりたくないものです。

ひとに振り回されないように。自己主張ばかりせず、お互いに尊重し合えれば、もっと住みやす世の中になるのではないかな。

これは、なかなか難しいことではあるけれど。