〜ひそやかに咲く名も無き花〜

思考整理、時々ポエマー。自作です。著作権フリーではありません。

情報の取捨選択

情報の取り方というのは人それぞれ。人は見たいものだけ見て、知りたいものだけを知る、という習性をなかなか抜け出せないようです。一つのことを追ったり、深堀りできるのは才能。時間があれば誰にでもできる、というものではないでしょう。


『本当の真実というものはいつでも真実らしくないものだ。真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。だから人間はつねにそうしてきたものだ。(ドストエフスキー)』


情報過多、種々雑多。その中からいかにして"たった一つの真実"に辿り着けるのか。見極める力がなければいけませんから、情報科学が必須なのは明らかですよね。


いつだったか、動画の合間の広告が人によって異なるのはどういうことか?という趣旨の質問に、それはビックデータに決まってるだろうと答えた人があった。それじゃねーよと心の中でツッコミをいれてしまった。質問が言葉足らずだったのは認めるけれど、聞く気も失せてしまった。昔のことでさびついたとは言え情報処理卒なんで、ちょっと気になるんです。知りたかったのは抽出方法云々であって、ビックデータそのものを言われましてもね。だから人を馬鹿にする人や、むやみにマウントとってくる人は嫌いよ。質問の意味さえくもうとしない。


私は日頃の言動や見た目から格下に見られることが多いです。笑顔でかわしておきます。
その人が自分より立場が下の人の扱いをどうするか、それに私は興味があり観察していることに気づかない。簡単に取り込もうと近づいてくる人もいます。そういう人は絶対に信用しません。自分自身も気をつけなければと思います。


話が逸れてしまいました。
とにかく情報は必ずしも正しいとは限らない。ニュースはソースではないし、全てを信じてしまう人には辟易してしまいます。しかも説得は難しいときている。


私はニュースをもとに分析している人やまとめている人やチャンネルを探し、ざっと見て広く浅く取捨選択します。人間関係の広く浅くは苦手ですが、情報に関してはアリですね。全てを知る必要はありません。世の中の流れを知り、どうすれば良いのかを考えたいのです。ここで大切なのは、世の中の定義。日本なのか世界なのか。


いずれにせよ、今のところ結局なんでも教育の見直しにたどり着いてしまうのだけれど。