〜ひそやかに咲く名も無き花〜

思考整理、時々ポエマー。自作です。著作権フリーではありません。

世の流れ

世の流れとして既に、多様性だったり移民などの問題というのはあります。社会が受け入れることを前提として、現時点で何が問題なのかを検討し、必要なことを見極めないといけません。受け入れないという前提であれば、良い悪いの判断さえできません。だからといって、全てを受け入れる、ということも出来るわけがありません。


マイノリティの主張を全部取り入れるなんて無理でしょう?そもそも世の大半の人はそんなことしてもらえないのに、多様性と言うだけでオールオッケーとはならないのですから。とにかく極端なのは誰のためにもなりませんし、生きづらくなるだけです。


残念ながら、未だ問題視するだけで何ら検討されていないように感じます。どこかでなされてはいるのでしょう。日本の頭脳と呼ばれる人たちは答えを持っているはず。しかし一向に国としての指針が見えてこない。遅すぎますね。


日本は古来より、多文化の受け入れは得意としてきたと考えます。それは、丸々輸入したりせず、日本に合うように改良して取り入れてきたから。よく漢字が例に取り上げられますね。ひらがなやカタカナは独自ですし、発展させて逆にこちらから輸出した言葉もあるくらいです。

食にしてもそう。必ず日本人の口に合うように改良して提供されます。現地で食べるものとは違うのでしょうが、日本にいながら世界の料理は楽しめるんですよね。年がら年中、元々の意味とは異なるものの、イベントごとには事欠きませんし。クリスマスにハロウィンに…ね。


こういう何でも受け入れて独自に変えてしまう民族性は、八百万の神の存在からきているのではないかと考えたりします。世の中のありとあらゆるものに神さまが宿っていて、いつも神さまは私たちの側にいらっしゃる。あらゆるものに感謝をし、何事も恐れることは無い。これが受け入れられている。他国に理解されない部分ではないでしょうか。日本人には信仰心がない、信仰心がうすいなどと揶揄されますが、八百万の神をもってしてそれは否定できると思います。いかがでしょうか。


とにかく、多様性社会も移民社会もすでに始まっていることです。日本はまだ先などとぼんやりしている場合ではないのです。各々が心構えする必要はあると考えています。