後世に何が残せるのかなと考えた時、私にはこれといって思いつかない。つまり何もない。
ある程度 年を重ねると、どこかで余生を考える。幸せな最期を迎えれると仮定して、それまでに何をしようかと。
昨年夏、とあるきっかけで英語を始めたのは、そんなことを考えていたからかもしれない。私にとってはチャレンジである。
その時期、某新聞社や特定の国がネット上に英語で "あることないことないことないこと" 広めていることを知り憤っていた。 日本人は英語ができないと、下に見られている。
解決するには、みんなが英語できるようになるしかない。下の世代に期待をしようと。教育庁の教育指針は迷走しているように見えた。ならばどうするか。不器用な私が至った考えは、自分が出来るようになれば、そこから見える景色で何かできるかもしれないと。
まず、英語のニュースを読んだり見たりできるようになる。第一段階の目標をたてた。その先には、小さな子どもたちに教えれないかなと、ぼんやり考えている。
最終目標はまだない。志し半ばで終わるかもしれない。何の役にも立てないかもしれない。しかし、生涯かけて楽しみながら習得していこうと思っている。