自らの命をもって世に何かを訴える。それはその人の人生だから、私のような者が何かを言えるわけではありません。
ただ、不幸のあまり悲しみに暮れ、自ら絶つ者を、私は良しと出来ずにいます。逃げる場所は本当になかったのか。そう考えてしまうから。
すこし前になりますが西部邁の事件がありました。私はその最期を三島由紀夫に重ねました。自らの命を持って世に知らしめる。このような深い絶望があるでしょうか。
今、私たちは彼らの見た『絶望』の中で生きています。あれから何か変わったのか。もちろん変わりました。しかし、彼らの理想とした世でないことは確かでしょう。
生きてこそ。何かをするのであれば、何かを成すのであれば、生きてこそ。そう思います。
しかしながら、彼らはたくさんのものを遺しました。そう、実に色々な言動を。私たちはそれをいつでも知ることができます。そういう生き方を彼らは選んだ。そして彼らの思想は今もって生きています。そこから学ぶ必要はあると思うのです。